美瑛の歴史
丘の景色とともに。 農業と観光の歴史。
1 丘のまちの成り立ち

現在多くの観光客で賑わう美しい丘の風景は、十勝岳の噴火によって火山灰と土石流が堆積し、それらが数多くの河川に長い年月をかけて侵食されることで、波状丘陵という地形を形成しました。開拓前は、うっそうとした山林だった丘を開拓者が切り開いたのです。
2 美瑛農業の歴史

旭地区で農業ははじまりました。水場の近くに家を建て、水を引くことができる平坦な沢地には水田を、丘の傾斜地を畑に開墾しました。当時から昭和40年代まで、農家の生活に不可欠だったのは馬。農作業はもちろん、買い物や運搬も馬そり。馬の餌やりは、子どもの仕事でした。昭和58年には輪作がはじまり、じゃがいも、ビート、豆、小麦など、植える土地を毎年変える仕組みになることで、丘の風景も毎年変わるようになりました。
3 美瑛観光の歴史



青い池をはじめとする近年の観光
平成27年にApple社のコンピュータに青い池が壁画として採用されました。平成30年には道の駅「白金ビルケ」もオープン。青い池の周辺の道路整備なども進み、夜間のライトアップも行っています。
4 美しい村連合について

平成17年、美瑛町を含む全国7つの村からスタートした「日本で最も美しい村」連合。失ったらニ度と取り戻せない日本の農山村の景観や環境、文化を守り、将来にわたって美しい地域を守り続けることで、観光的付加価値を高め、地域資源の保護と地域経済の発展を図ることを目的に活動しています。
年表
先史時代〜初期開拓時代
1857年(安政4)
1894年(明治27)
1899年(明治32)
1900年(明治33)
1940年(昭和15)
1947年(昭和22)
1950年(昭和25)
1951年(昭和26)
1971年(昭和46)
1972年(昭和47)
1987年(昭和62)
2000年(平成12)
2005年(平成17)
2006年(平成18)
2007年(平成19)
2012年(平成24)
2018年(平成30)