色合いの変更
色合いの変更

美瑛生まれ、北海道開拓3代目の菅野勝見さん。77年の中で積み上げてきた知識から読み解く美瑛の歴史とともに、これからの美瑛についてのお話を伺いました。

 

歴史への理解は、生まれ育った環境から。

“祖母が学校の先生を目指していた人で、祖母から読み書きを習っていました。読み書きができたので、たまたま家の屋根裏にたくさんあった外国の伝記をよく読んでいました。そこから読書や歴史が好きになっていったのだと思います。郷土史の研究を本格的にはじめたのは70歳過ぎ、息子に経営移譲してからです。ここ最近は、松浦武四郎が美瑛の丘から眺めた大雪連峰に感動しスケッチをしたという旅のルートの解明をしていました。美瑛は、地形がとても複雑な波状丘陵。一山間違えたら違う場所になってしまいます。これもたまたまですが、中学時代に植物採取をしていて、美瑛の地形をよく理解していたので、美瑛で生まれ育った背景が、旅のルートを読み解くのにすごく役立ちました。”

美瑛の歴史を語る、美瑛駅。

“まちづくりを歴史的に見ると、美瑛のまちは入植するために区割りをしているんです。そのため美瑛原野も区割りしているのですが、美瑛の駅前に立つと道路の目の前に十勝岳が見えるようになっています。これは美瑛原野をみた測量士が十勝岳までまっすぐ線を引いたところを基線としたからなんです。そこから等間隔に引いて、十字になるように区切っているから、波状丘陵に作物が実り、彩りがある美瑛ならではの景観になっています。今駅前に立つと、十勝岳がちょうど丸山通りの中央に見えるのは、美瑛原野の区割りの名残なんですよね。美瑛が神楽から分村するときに、村名をどのような名前にするか相談したところも美瑛駅舎。美瑛駅を背にして立つと、美瑛の歴史のパワースポットのように感じます。”

美瑛駅
住所:美瑛町本町1丁目1

農地としての美瑛を考える。


“開拓の時代から美瑛は、酪農や水田そして畑作と農業を基盤に発展していきました。世界の食料需要が変われば、美瑛も農業のまちなので変わっていくと思います。少しずつ規模拡大の時代。もともと美瑛の区割りの背景からできたパッチワークの風景ですから、美瑛の農業の形態が変わると景観も変わります。景観を守るのもそうですが、農地や人の暮らしをどのように守っていくのか考えなくてはなりません。50年単位で美瑛がどのように変化していくのか、できる限り見守っていきたいと思っています。 ”

丘のまち郷土学館 美宙
住所:美瑛町栄町4丁目1-4
TEL:0166-74-6116
http://town.biei.hokkaido.jp/facility/misora/

菅野さんのmy BIEI